「驚異の百科事典男」

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A.J.ジェイコブズ著、黒原敏行訳
「驚異の百科事典男」
文藝春秋 (2005/8/3)
ISBN-13: 978-4167651527


ジャーナリストである著者が、百科事典「ブリタニカ」全32巻読破に挑戦した過程。原題は「The Know-It-All」。

まず、雑学好きな人にはとても面白い本。「ブリタニカ」の項目AからZまで、それぞれ著者にとって目新しい言葉を挙げ、中身について触れている。
同時に、エッセイ好きな人にも興味深い。その挙げられた言葉について書かれているのは、詳しい説明よりも、彼の生活雑記や個人的感想が主体である。
更に、私のような複数併読型にもありがたい。細切れに区切っても問題なく読めるのだ。

ではトリビア的な本かというと、本筋がちゃんとある。著者がブリタニカを読み進めるうちに感じるようになったこと、周囲の反応、自信の獲得と喪失、メンサ(米国高IQ集団)への入会などを経て、最後はTV番組「クイズ・ミリオネア」に挑戦するのがクライマックスとなっている。
あとは、夫人との子作り奮闘とか。なかなか子供ができなくて悩むのは、私も少々覚えがあるので、明るく書かれてはいるが悩みの深さを感じるところ。
元々の動機は、父親に対するコンプレックスであることが明言されている。自分を神童だと信じていたが、大学卒業後から低下の一途を辿り、35歳では恥ずかしいほど無知だと感じるようになる。著作も多く、優秀な弁護士である父に対して抱く劣等感が、父がかつて試みて中断した「ブリタニカ」読破に繋がっている。

挑戦を始めてからの彼の心情と行動は、アメリカのTVや映画に良く出てくるような、と言えばいいのか、そんな印象を持っている。
自分が始めたことを皆に告げたい、賞賛と励ましが欲しい、チャンスを狙っては薀蓄を垂れ、それで周りの空気がさめても見ないふりをする、でも実は密かに傷ついている。明るく冗談めかして書いていて、得た知識に対して深刻にならず、謙虚さがうかがえても、その影の自信と自己顕示欲は隠しようもなく、何度も笑わせてもらった。
ポップカルチャー誌の編集者という職業に良く合った人物像と内容、と思ったのは私の偏見かもしれないが。

「クイズ・ミリオネア」の出場が終わり、Zの項目に至り、最後に彼が得たものは何か。知識を詰め込んだ結果、それは芳醇な知恵となりうるか。
そんな深刻な哲学などはないけれど、彼が辿り着いた心境がある。睡眠不足という犠牲を払いながら、彼が得たものは知識だけではないと告げてくれる。彼に近づいて握手を求め、肩を叩きたい気持ちになる。

私自身、本を1ページも読まない日はないが、それで知識や知恵が身についたかというと、むしろ読めば読むほど自分は何も知らないと感じ、もっと読みたい本が増えるばかりだ。
ジェイコブズ氏も、これ以降は普通の読書に戻るだろうが、決して以前と同じ姿勢ではないだろう。読んだ後は、読む前の自分には戻れない。知った後は、知らなかった自分には戻らない。
父への劣等感から始めた偉業を成し遂げた彼は、今度は念願の父親になって、新しい父子関係を築いていくのだろう。
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  by wordworm | 2006-11-04 07:18

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