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「魔法使いとリリス」

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シャロン・シン著、中野善夫訳
「魔法使いとリリス」
早川書房 (2003/12)
ISBN-13: 978-4150203511


大人向けの御伽話という感じのファンタジー。

魔法使いとして非常に有望な資質を持つ青年、オーブリイ。今持っている技に加えて、変身術を身につけたくて、名人と言われる魔法使い・グライレンドンに弟子入りした。しかし彼の館の住人は、グライレンドンの妻・リリスを始めとして、どこか奇妙な存在ばかり。そんなリリスに、オーブリイは日々惹かれていく。そしてリリス達が持つ、大きな秘密の存在に気づく。

ストーリーとしては単純でシンプルなのだけど、全編を通じて漂う切ない雰囲気がとても良い。目線や指の動き一つの描写にまで、情緒が溢れている。優しさや哀しさ、恐怖、欲望といった感情が、ゆっくりと肌に沁み込むように、確実に全身に届くのだ。

リリスには感情がない。だから”愛”というものが理解できない。オーブリイの気持ちに応える言葉に、大事な鍵が隠れている。そして周りの住人と、グライレンドンの態度にも。

魔法が使えたら、と願ったことのない人はいないと思う。しかし実際その力を手にしたとして、健全な意志の下に使えるか。本質にあるものをつかめるか。
変身術とは、正にその対象の本質を理解していないと成せないものだ。体中の成分の一つ一つを、元素レベルに至るまで変化させていく。そして完全に変身を成し遂げた後には、心までそのものに変わる可能性が待っている。元は自分は何であったか、忘れてしまうかもしれないのだ。
元の自分を完全に忘れて、生まれ変わったように別な存在になることを、また願う人も多いだろう。しかしそれが自分の意に染まない場合、どれほど残酷なものであることか。
その残酷さが変身術を身につけたオーブリイに、邪悪な魔法使いに立ち向かう勇気の引き金を引かせることになる。

たとえ体は変わっても、持って生まれた本能は根強いものだ。その声に逆らい続けることを良しとはしない。
この世界には、その身体と心が在るべき場所がある。その場所から無理矢理離すことは、世界に歪みを与えることになる。
もしその対象に、ほんのわずかでも愛を感じるなら、そんな残酷な行為に踏み切ることができるか。できる場合は、それは果たして愛であるか、という問いかけが続くのだ。

切ない物語の終わりに用意された、温かいエピローグ。
これはある人々を描いた物語だが、確かにその背景には自然という世界がある。無慈悲なようで、実は何よりも王道な。私達もそんな世界に包まれていることを、改めて感じさせてくれる一冊だ。

  by wordworm | 2006-10-25 04:14

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