「スカートの風」、他2冊

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呉善花(オ・ソンファ)著
「スカートの風」
「続・スカートの風」
「恋のすれちがい」
角川書店


韓国で生まれ育った一女性が日本に渡り、数年を経て書いた、彼女なりの韓国・日本論。書かれたのが1990年ごろなので、今はまた変わっている面もあろうが、全作を通じて非常にわかりやすい韓国入門書となっている。

私の読む本は大層娯楽に偏っていて、所謂頭の良い本は読めない。頭が悪いから読めない。(身もふたもない)(でも事実) 特に避けるのが、思想書や○○論という類。
実際その類の本は、あくまでその著者の個人的意見として心してないと読めない、というのが本音だ。読めばどうしたって多かれ少なかれ影響はあり、それが目の前にいる人達との間に挟まれるようなら、かえって害にしかならない。
知識として、歴史は深く知るべきだと思う。が、現実ではその歴史自体が客観的とは限らない上、その知識に、人を見る目を曇らされてはならないとも思う。だから国際論の類は苦手である。どうしたって、その国全てがそのパターンであるかのごとくの全体論にならざるをえないからだ。「日本人という国民はこうだ」と言われた時に、自分が主として覚えるのは反発の念だからだ。後は単に頭が悪いから、難しい話からは逃げるのだ。(もっと本音)

しかしこの本は、私が苦手な異文化比較論とは一線を画する。それは筆者が政治レベルを遠く離れて、あくまで自分の体験や身近な人間からの取材に限っていること。そしてこれらは自分の個人的な考えであるという、謙虚で真摯な姿勢がうかがえること。日韓双方の美点・欠点を素直に見ようとしていること。まずはこのような点に非常に好感を持つ。
更に韓国人でありながら素晴しい日本語で本を書き上げ、しかもそれがなまじ堅苦しい書より遥かに胸に届くことで、驚嘆と尊敬の念もつのる。
「スカートの風」では、日本で働く韓国人ホステスの取材を中心にした日韓、じゃない韓日論。「続…」では更に具体的な両国の考え方の違いを細かく説明してあり、ある意味続編の方が分かり易いかもしれない。

韓国といえば「遠くて近い国」と言われるが、私がこちらで出会った韓国の人は皆良い人ばかりで、幸い歴史云々の軋轢もなく過ごしてきた。主に日本語クラスで出会ったので、元々日本に好意的な人達だったからだろう。しかし日々メディアでは、そうではない話ばかりが飛び交うのが実態である。
ところがこの本を読んで目からウロコどころか、なんというか体中から瓦がボロボロ。なんでこんなに違うんだ、という驚愕が一番大きかった。

例えば色々な国についての論評や自国論を聞くと、大抵のことは理性の上では理解はできたし、感情的にも自分の内部を探れば想像できる範囲内であったことが多かった。ところがこの本で読んだ韓国論は、どうしても自分の中に落ちてこない。呉さんの丁寧な説明のおかげで内容はわかるのだけど、共感することが非常に難しいのだ。日本文化で悪とすることを韓国では良しとする、そんな点が多すぎて、頭から爪先まで日本人の私は唸るばかりで立ちすくむ。
韓国と聞くと色々とよぎるものがあるのだけど、韓流と言われるブームで、良い形で麓で交流するようになればベストだと思っていたが、国と国以前に、対個人の間にある溝があまりに深く感じられた。

かなり強烈な男尊女卑、銀行より頼母子講、過熱する教育ママなど、まだ日本が経験したものあればわかるのだけど、根本的に相容れないものが基本にある。
名誉や財産など、目に見えて人に示せるものを良しとし、それを目指すことをあからさまに示すことがまた良識ある姿勢とされる。謙遜を美徳とする、周囲との調和をまず考える日本では、反発を招くばかりの態度であろう。そして同様に、日本人が韓国に住めば、覇気も意気地もないと思われることであろう。むしろ外見では似ている分、余計に精神面でのギャップが大きく感じられる。
この基本価値観の違いを、具体例を沢山挙げて説明してくれている。ということは、その数だけ呉さんは日本でつらい体験を味わわれたということでもあり、重ねて頭が下がる。
ましてやそれだけの経験をされていながら、本書は日本をたててくれた、大変親日な内容になっていて。ある意味、親日であるからこそ、日本で大いに受け入れられることになったとも言えるのだろう。

この日本を良しとしてくれる姿勢は彼女の私見だということを、どこかで認識していなければならない。そして親日ではあるが、彼女の願いは、あくまで両国間の相互理解にあることも。
両国の良い点・悪い点を率直に認め、日本に韓国のことを知ってほしい。これだけ日本を真剣に理解してくれた人のこのような願いを、無碍にすることは許されないだろう。

また個人的に興味を引かれたのが、「韓国語には受身形がない」というところか。
日本語を学ぶ生徒にとって、受身形は非常に難しい。特に「父に死なれた」「財布を盗まれた」という言い方は、他の言語にはないらしい。日本人の自己と他者との距離のとり方・物事の受けとめ方が表れている、実は大きな意味を持つ表現だ。
それでも欧米語には受身形はあるのだけど、韓国語にはないというのが、また韓国らしいと頷いてしまったのだ。

「自国を客観的に見られるようになった時が、国が成熟した時だ」という言葉を聞いたことがある。
だとすれば、韓国という国の中から、呉さんのような人が、しかも女性が出てきて発言してくれていることに、大きな意義を感じないか。まだまだ反日教育が盛んであっても、どこかで違う色が見えてきていないか。

彼女のように、愛国心を持ちながらも、自国への謙虚な目を忘れないこと。他国人とは理解し合えないと、最初の段階で線を引かないこと。
韓国という国についての理解だけでなく、呉さんの姿勢に心から敬服するシリーズだ。
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  by wordworm | 2006-10-23 04:17

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