「世にも美しい日本語入門」

安野光雅・藤原正彦著
「世にも美しい日本語入門」
筑摩書房 (2006/01)
ISBN-13: 978-4480687272


画家の安野氏と数学者の藤原氏が、日本語をテーマに語り合った対談本。

両氏とものファンでありながら、実は安野氏が藤原氏の小学校の美術の先生だったとは知らなんだ。更に本書の企画の松田氏が、やはりその小学校の卒業生で、藤原氏の4年後輩にあたるという。この3人の結びつきで生まれた本を、藤原氏は「世にもめずらしい本」と冒頭で呼んでいる。

日本語を専門とはされていないが、独自の美意識を持つお二人が共通して褒め称えるのが、日本語の美しさ。特に古典、文語体、欧米の5倍という日本語の語彙の豊富さだ。
日本ほど翻訳文学が豊富な国はないという。逆に語彙数の差から他言語への翻訳が叶わず、日本文学は川端・大江までノーベル賞が出なかったという。シェークスピアは4万語。広辞苑は23万語。

語彙が豊富であるということは、それだけ精神の叙情性を豊かにする。その基盤が、見るだけで意味を知らしめる漢字にある。
ところがゆとり教育のおかげで子供の時に習うべき漢字数は削減され、それが子供の語彙を増やすことの妨げになっている。ひいては子供に漢字への抵抗感を増やし、本に背を向けさせる。
唱歌や童謡を教科書から減らすことで、親子三代に共通の歌が消えてゆく。特攻隊で出撃する前夜に学徒兵が読んだ万葉集やニーチェを、今の大学生がどれだけ理解できるだろうか。

しかし言葉は同時に生きている。時代と共に変わり、新しい造語が生まれる。年々増える外来語そのままの新しい言葉も、それもまた日本語の一つとして受け入れることは必要だ。
問題は、それらの言葉を受け入れる余地を作る為に、古くからの言葉を身の内に入れないようにする姿勢だろう。英語や総合学習なるものの時間を増やす為に、国語の時間を削った小学校の時間割に、その問題は顕著に表れているのではなかろうか。

なんて偉そうなことは言えやしない。藤原氏が大学で持つ読書ゼミで、必須として読ませる書のうち、私は2~3冊しか読んだことがない。
本には読むべきタイミングがあり、出会うべき最良の時がある。しかしそれを逃したところで価値を落とすことがないのが、古典と呼ばれる、長い年月の間に淘汰され尽くして残った本なのだなあ。
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  by wordworm | 2006-09-02 04:47

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