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「まともな人」「こまった人」

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養老孟司著
「まともな人」
「こまった人」
中央公論新社


雑誌「中央公論」の連載をまとめてあり、時事は苦手と言い切る養老先生が、日々気になる世間の事柄を取り上げた評論集。

先生の本の感想を書くのは、いつも困る。この本のように、内容が多伎に渡る場合は更に困る。なぜって、私が感銘を受ける箇所があまりに多いのだ。
「学習とは文武両道である。脳で言うなら知覚と運動である。よって教育用ビデオ、あれはある種の経験ではあるが、学習ではない」
「情報は固定しているが、人は生きて変化していく。それを諸行無常という」
「現代人が抱えているのは、心ではなく、身体の取り扱いの問題である」
2冊で約450ページからこんな風に抜き出していけば、きっと200ページぐらいになるかもしれない。節操なさ過ぎというか、どんだけ頭悪いんだよって話ですかこれ。

先生の他の著作でも唱えられているが、「脳化」「都市化」という言葉がある。
先生によれば、この現代社会というものは、イコール脳化社会であるという。人間が脳の中で考え、意識下で理解できることのみを正当とする。意識的活動だけを「正しい」とするので、起きている=意識のある間の自分は「正しい」と思い込む。そこに現代社会の根本的問題があるというのが先生の主張だ。
以前先生が出た番組で、「1日10分でいいから、人間が作ったものではないものに接するべきだ」とおっしゃっていたのを思い出す。どうしようもなく大きい場所に行きたくなるあの気持ちの源は、ここにあるのかとも都合よく考える。

もう一つ、先生が何度も唱えられていることが非常に興味深い。それは、「かけがえのない自分などというものはありえない」という、ある意味誤解を招きやすい主張であるが、それは説明の道筋を辿れば実に明快だ。
人は変わる。一瞬前のその人は、すでにこの瞬間のその人ではない。なのに「変わらない」「個性を持った」「かけがえのない」自分があると思うから、ただ悪口を言われただけで刃傷沙汰が起こる事態になる。しかしそう言うと、それを逆手にとって、「昨日金を借りたのは俺じゃない」などと言い出す人がいる。それを昔の人は「約束を守る」ということで解決していた。現代では「自分に忠実なだけ」の人が増えているから、不良債権も増えるし離婚率も高くなる……まとめるとこんな感じか。
自分の本質というものが確固として存在し、それは変わらないのだとすると、「教育」や「経験」を受け入れる意味を見出せるだろうか。「変わらない」なら必要のないことと考えるのではないか。一番危惧すべきところはここにあるのだろう。
先生の意見全てに賛成の意を覚えるわけではないし、何冊も追っかけていると、どこかに矛盾があるような気がしてならないのだけど、それも「変わる」先生を「変わる」私が追っかけていると考えれば、納得できるのか。とにかく、先生の物事に対峙する角度に憧れる。

自分の周りで、尊敬し憧れる人は沢山いる。しかし実際のその人を知らず、著作を読んで尊敬の念を抱く人と言えば、私がすぐ思い浮かぶのが、養老先生と曽野綾子氏の両氏である。
おそらくそれはお二人にある、「分相応」「人はいずれ死ぬ」「諸行無常」「領分」といった姿勢に惹かれているのだと思う。
生臭い、我欲の強いものが目立つ中にいることは、意識せずともどこかに疲労がたまる。自分という存在にそこまでプライドと自信が持てることは大したエネルギーだと思うが、私が憧れる人は常に真逆の位置にいる。また憧れるということは、自分にないが故だということも知っている。
今のお二人の年齢に追いつく頃に、そのような姿勢を自然と持てるようになれたらどんなにいいかと思う。しかしその自信は欠片もない。

  by wordworm | 2006-02-21 12:21

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