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須賀敦子さんの本

友人から借りた須賀さんの本、5冊。いつものように情けないことに、名前さえも知らなかった。
しかし最初の1冊を読んだ後、なだれこむように次々と手に取らずにはいられなかった。

心が震える、という言葉は、決して乱発していいものではないけれど。須賀さんの本を読んだ時に、どうしようもなく感じた感情を、他にどういう言葉で表したらいいのかわからない。
エッセイで小説で、強く理性的であったり、豊かな感情味に溢れていたりと、素敵な本は数え切れないほどあって、それぞれの形の感動を味わってきたけれど。須賀さんの本は、そのどれとも異なっている。今まで読んだどんな本とも、違う空間にたゆたっている。

流れるような、と言えば良いのだろうか、彼女独得の文体は。
それは、漢字をあまり多用しないこととか、頻繁に挟まれる句読点だとか、「」を使わないセリフ表現とか。きっと分析すれば、色々と要因は挙げられるのかもしれないけれど。
そのようなテクニックのレベルを超えて、とにかくこれが須賀さんの体内から、こんこんと湧き出る言葉の泉であると、輪郭をつけないままにそう感じとって浸って、彼女独自の夢の別世界に歩んで行く。

どの本も、須賀さんの過去の話の短いエッセイをまとめてある。本ごとにそれなりのテーマはあるのだが、そういう枠を感じることさえ邪魔に思えるほど、ただ彼女の世界はひっそりと揺れていて、境界線が見当たらない。
全ては彼女の記憶から。もしかしたら、それに若干の脚色が。
そう思えるほどに、鮮やかで確実で、でもどこか遠い霧の中をのぞいているような、そんな世界が広がり続けて、止まることがない。

イタリアに長く暮らした須賀さんは、42歳でようやく日本に帰国して、大学講師の職を得る。以来、イタリア語-日本語の翻訳を長く続け、翻訳本も両国で多数出版されている。
しかし、これだけのキャリアに関わらず、エッセイを初めて書いたのは、彼女が61歳の年である。その最初の著作、「ミラノ 霧の風景」が絶賛され、数冊のエッセイを、年をおきながら出版していったが、その執筆活動はわずか8年という短さで、彼女自身の死によって終わりを告げることになる。

「登場したそのときから、すでに完成された作家であった」
とは、「ヴェネツィアの宿」の解説の、関川夏央氏の言葉である。これ以上に、他に何が言えるのか、と思うほど。
名家の子女として育ち、キリスト教の私立女子学校に通い続け、フランスに留学し、イタリアに渡り、左派運動にその身を投じ、結婚し、死別し、2つの国を行き来して……
内部にこれだけのものを持ちながら、晩年になってようやく形として提示された彼女の歴史は、どんな泥も不純物も、全て底にあるがままにして、その上で一切が浄化されている。

こういう形で残す為には、61歳まで待たなければならなかったのだ。
そんなことを呟いてはみるものの、最後にようやく取りかかっていたという、初めての小説が形にならないままに終わってしまったことは、残念という言葉では足りないほどに口惜しい。

ここに積み上げてある5冊の本。どの本の、どの章から読み始めても構わない。
そこに書かれている文の全てが存在するのは、須賀さんの作り上げた世界の中でしかないものだから。
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須賀敦子さんの本_e0111545_9112725.jpg
「コルシア書店の仲間たち」
文藝春秋 (1995/11)
ISBN-10: 4167577011


須賀敦子さんの本_e0111545_9115552.jpg
「ヴェネツィアの宿」
文藝春秋 (1998/08)
ISBN-10: 416757702X


須賀敦子さんの本_e0111545_9121614.jpg
「トリエステの坂道」
新潮社 (1998/08)
ISBN-10: 4101392218


須賀敦子さんの本_e0111545_9125552.jpg
「こころの旅」
角川春樹事務所 (2002/06)
ISBN-10: 4894561220


須賀敦子さんの本_e0111545_913124.jpg
「地図のない道」
新潮社 (2002/07)
ISBN-10: 4101392226

  by wordworm | 2007-11-08 09:03

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