「西の魔女が死んだ」

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梨木香歩著
「西の魔女が死んだ」
新潮社 (2001/07)
ISBN-10: 4101253323

映画化されたという話を聞いて、久しぶりに本棚から引っ張り出して読み直してみた。
前に読んだのは数年前だけれど、今読み直してもまた新鮮で、多分その時とはまた違った感想を抱いている。

中学に入ってから登校拒否になった少女、まいは、母方の祖母の家に預けられることになった。
祖母との生活に少しずつ馴染みながら、実は魔女の血筋だ、という祖母とのやりとりを通して、「魔女修行」を始めることになる。

この本は、私の母が私に「いい本だから」と、発行間もない頃にくれたもの。1994年の初版本(楡出版)という、今では貴重品である。
ジャンルとしては児童文学に入るらしいが、大人の私にも十分に応えてくれる、いや、むしろ親となった身であれば、余計に染み入るものがある。
以前に読んだ時は、まだ生まれて間もない頃であったうちの娘も、今ではもうすぐ14歳。まいと同年代であり、思春期のあれやこれやの悩みが日々増えてきた頃であることが、またその気持ちに拍車をかけるのだ。

「魔女修行」といっても、魔術やおまじないを習うものではない。そもそも、それは祖母のいう「魔女」ではない。
ハーブや草木の様々な知識を持ち、それが生活の一部であり。研ぎ澄まされた感性でもって、物事の先を見通す。
その見通しは瞬間の訪れであったりもするが、大事なことは、自らの意志で呼びこむものであるべき、ということ。それが祖母やまいの家系の持つ力、なのだと説明される。

そういった力を身につけるための修行とは。精神を鍛えるため、といって、祖母がまいに提示したものは。
早寝早起き。
食事をしっかりとる。
よく運動して、規則正しい生活をする。

そういう生活をベースとして、しかし一番の必須条件は、「自分で決める」ことに尽きるのだ。
外からの刺激に動揺しないように、直感を大事にしながらも、それに囚われることのないように。
言葉にすればこれだけのことでも、それが確実に実行できる大人が、一体どれだけいることか。

魂と身体について、死について、祖母がまいに語ること。これがまた、この物語の鍵である。
身体があるからこそ、様々なことを学ぶ魂が、いつか成長の果てに、その身体から自由になる。

心身共に、とか、身も心も、という言葉を、我々はたまに口にするけれど。魂を人の核とするなら、身体が健全であるべきことは、あまりに当たり前のことなのだ。
それなのに、どこかで別個で考える傾向にある私達。実は車の両輪であって、どちらが欠けても成り立たないのだ、ということを、この物質社会で忘れかけてはいないだろうか。
加えて、自然、という荒々しいものとの共存共栄。これも、忘れがちな感覚ではないか。
魔女の血筋ではなくとも、この修行は私達こそが実践していくべきことの、基本中の基本である、と。

ラストの数ページに涙ぐむ。魂というものの力を思い知る。
アメリカに来て以来、何万通りものイントネーションで聞いた覚えのあるフレーズ、「アイ・ノウ」。祖母の口から出たこの言葉は、無限の包容力でもって、まいをくるんで癒すのだ。

自分の娘を前にして思うのが、私がまいの祖母のような存在でいられたら、という願いが、ただひたすらに、一筋に。
日々、これ修行、なのである。魔女である必要はなく、ただ一人の人間としての、私なりの修行がいる。
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  by wordworm | 2008-07-02 03:38

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